ハタチノカラダ

サラリーマンになって10年が経った頃、ストレスと睡眠不足で身体は痩せ細り、毛根が死滅して頭髪は前線から撤退し、持病の腰痛は爆発し、右手は腱鞘炎で箸も持てない惨状・・・。自分の身体はどうなってしまうのか?過去の運動自慢は虚しく響くだけ。このままではアカンと危機感を持ち、今ここにいる自分を鍛えようとジョギングを始めたのが2013年夏。2016年は京都マラソンでサブ4を達成し、珠洲トライアスロン(Bタイプ)を完走しました!そんなアラ4のオッサンが20歳の身体を目指して、面白おかしく頑張るブログです。

きっかけのきっかけ

きっかけは、父と息子を連れて富士山に登ることだった。
そのためには、体力が無さ過ぎる。
多少の体力をつけるために、昨年の6月にジョギングを始めた。
煙草も吸っていたので、最初は1kmを瀕死の表情で8分くらいかけてヨボヨボと走った。
それでも1週間、2週間と続けているうちに、1kmが2kmになり、1kmを6分半くらいで走れるようになっていた。
そんなある日、ジョギングをしていることを知った同僚から「京都マラソンにエントリーしましょうよ」と声をかけられた。
「自分にフルマラソンをやる根性があるのか」と自問自答する毎日。
結局、エントリー最終日に「えーい、ままよ!」と申し込んだ。
最終的に抽選は外れたものの、そこからフルマラソン完走のための訓練の日々が始まったのである。

富士山の話に戻る。
いつだったか忘れたが、父が「富士山に登ってみたい」と話していた。
父は「山と渓谷」を買うようなヘビー登山家ではないけれど、山歩きが好きだ。
父が行きたくても行っていない山があるなら、連れて行ってあげたいなと思った。
どうせ行くなら、息子も連れて、親子3代で登れたら楽しいだろうな、一生の思い出になるだろうなと考えた。
でも、当時4年生の息子に、長距離バス車中泊のツアーは過酷だった。
息子が高山病にやられるやら、父の登山靴のソールがパックリ剥がれるやらで、結局は7合目で断念して下山した。
それでも、親子3代で富士山にチャレンジしたのは最高の思い出になっている。
夕方に見た影富士には、宇宙の神秘を感じた。感動した。
一方で、登頂できなかったのが、悔しくて悔しくて仕方なかった。
僕や息子は、その気になれば、これからの人生で何度でもチャンスがあるだろうけれど、父はどんどん高齢になっていく。
年齢的には、いつ大病を患ってもおかしくない。
近いうちに再チャレンジを。
僕は帰りのバスで、そう心に誓った。

今年の夏、僕と父は3776mの日本最高地点にいた。
雹が降る過酷な天候だったが、父と僕の夢を一緒に叶えることができた喜びはひとしおだった。
来年は息子を連れて、再再チャレンジだ!
影富士