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ハタチノカラダ

サラリーマンになって10年が経った頃、ストレスと睡眠不足で身体は痩せ細り、毛根が死滅して頭髪は前線から撤退し、持病の腰痛は爆発し、右手は腱鞘炎で箸も持てない惨状・・・。自分の身体はどうなってしまうのか?過去の運動自慢は虚しく響くだけ。このままではアカンと危機感を持ち、今ここにいる自分を鍛えようとジョギングを始めたのが2013年夏。2016年は京都マラソンでサブ4を達成し、珠洲トライアスロン(Bタイプ)を完走しました!そんなアラ4のオッサンが20歳の身体を目指して、面白おかしく頑張るブログです。

補欠の弔辞

いつかこんな連絡が来る日がくるとは思っていましたが、とうとう訃報が届きました。亡くなられたのは高校の先生でサッカー部のコーチをされていた方でした。20年以上前の当時ですら、そこそこ年配の「お爺ちゃん」だったので、かなりのご高齢だったことでしょう。残念ながら通夜にも葬儀にも行けなかったので、ご冥福をお祈りしながら当時を思い出し、オジサンになった僕が感じることを書いてみます。

当時、たぶん60歳を過ぎていたと思うのですが、夏休みの炎天下の練習や合宿でも指導していただきました。バカ真っ盛りの僕たちは先生の頭髪を見て「ヨゼフ」とか「修行僧」などと陰で呼んでいましたが、心の中では、その熱心な指導に頭が下がる思いでした。先生からは、サッカーの技術、ポジショニングだけでなく、登下校や授業中などの生活面でも「サッカー部員たるものどうあるべきか」「全校生徒のお手本に」そんな指導をよく受けた覚えがあります。まあ、僕が全く「なってなかった」から指導が多かったわけなのですが・・・。20年以上が経ち、年齢だけは立派なオジサンになった僕は、中学生の息子の顔を見るたびに同じことを言っています。また、サッカーに関しては、まわりの部員が小学生からサッカーを始めている中で、僕は中学生から始めた(さらに高校受験で中3は幽霊部員)ので技術面では大きく劣るうえに、故障がちでレギュラーどころかベンチにさえ入れるかどうか(背番号をもらえるかどうか)というような選手でした。先生と監督と仲間を信じて、全てをサッカーに注ぎ込んだ高校三年生の夏の終わりに、ようやく掴んだ「補欠の座」は感無量でした。ユニフォームを着てベンチで戦況を見守っていた試合後半、先生が監督に「ハタチを出しませんか」と進言していただきました。僕はその言葉で全身に鳥肌を立てながら、ついに公式戦デビューを果たしました。今でもあの時の景色、風の匂いや温度をとてもリアルに思い出せます。先生の身振り手振りの指導も、熱心な生活態度への指導も、僕の中に生き続けています。どれだけ実践できているかは別として・・・。そして、それを次の世代に伝えていく度に先生のことを思い出します。いつかの年賀状に書いていただいた「予測と判断」という言葉は、失敗した時、迷った時、成功した時に、ふと思い出します。3年間のご指導、本当にありがとうございました。そして、その後のサッカー部のご指導もお疲れさまでした。

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誰かに読んで欲しかったわけではないのですが、悲しい気持ちと感謝の気持ちの「行き場所」がなくて、このブログに書きました。最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました。