江戸時代、鳥羽に「せき女」という娘がいて、街道を通る旅人に茶屋で餅を出した。 たいそう人気だったが、鳥羽伏見の戦いで途絶えた。 昭和初期、京阪国道の新設とともに、城南宮の近くにお店が出来たらしい。京都検定にも出題される『街道名物おせきもち』…
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